This is the day

レビューを書いて文章力をあげたいという甘い考えの産物です。

父の日は、やっぱり「母の日」に対抗して作られたんだね。

やっぱ父は母に負けるのかしら。

ただ単に対抗心だけで作られたわけではないらしいけど。

1909年にアメリカ・ワシントン州のJ.B.ドット夫人が、彼女を男手1つで自分を育ててくれた父を讃えて、教会の牧師にお願いして父の誕生月6月に父の日礼拝をしてもらったことがきっかけと言われている。
父の日 - Wikipedia

(どーでもいいけど、URLって日本語も入るんだね。)

つまりわたしたちは日本の中では比較的「正しい父の日の祝い方」をしたということかしら。

さて、この父の日に衝撃の事実を知りました。

「父親参観」って知ってますか?
これ、「父兄参観」とは微妙に違うんです。

噂によれば、これはこの「父の日」に、主に幼稚園で行われるイベント(らしい)。

「父兄参観」での「父兄」って、ちょっと古い用語なのだと思いますが(ジェンダー的には少なからず問題あるだろうな・・・)、ともかく、「父兄」=「保護者」を指す、ということは比較的常識ですよね。
だから、お母さんでも、おばあちゃんやおじいちゃんでも参観していいわけです。

が、「父親参観」は名前通り、「父親」だけが参観する日。

しかも幼稚園でメインに行われている、ってことで、その「参観」の内容は、主に「子どもと遊ぶこと」。


大量のおじさんが大量の子どもと戯れている。

想像するだけで異様な光景です。

しかしながら、この「父親参観」ってなんだか、気持悪くないですか?
いや、別に見た目が、とかじゃなくて(まーそこもあながち否定できないが)、その「響き」が。
そのあたしが感じた「気持悪さ」を分析してみた。

①「父親」と限定することがとても気持ち悪い。
なぜ「母親」じゃだめなのか。
お父さんが居ない子はどうなるのか?
お母さんが働いていている子は、お母さんとは戯れられないのか?

実はここには、「幼稚園」ならではの裏話があるのです。(以下、妹に聞いた話)

「幼稚園」と「保育園」の違いって正確にわかりますか?
3歳から6歳ぐらいまでは、幼稚園、保育園どちらも入れるので、その違いはかなりわかりにくい(と少なくとも私は感じてる)。

ヒント:幼稚園は「文部科学省」の管轄、保育園は「厚生労働省」の管轄

保育園は「働く人」、つまり、子どもの「親」に重点を置いています。
だから、待機児童問題などが起きた時、「共働きの人が入りやすい」とか「フルタイムで働き易い」という話がでてきます。
また、費用も、収入によってかなり変わります。

一方、幼稚園は「子ども」に重点を置いています。
子どもが集団のなかで生活することや、「家族」とは異なるコミュニティーの存在を知り、小学校につなげていく、って感じなのかな。
だから、親の都合に構わずに「遠足」やら「午前で終りの日」やらがある。
指定された時間や場所に、ちゃんと迎えにいける親が必須になってきます。
幼稚園は「小さな小学校」なのです。

つまり「片親や共働きの親」という存在に対処する「保育園」と違い、幼稚園の親は「働くパパと専業主婦のママ」という昔ながらの「家族」を前提にしているのです。(それがいい・悪いということではなく、そういうもの、ということ)

パパたちは仕事が忙しくて、子どもと遊ぶ時間がない。
でも、やはり「パパ」がいるから、その子どもたちは元気にすくすくと育っていける。(守ってくれる存在としての「パパ」、そして経済的支え手としての「パパ」)
そんな「パパ」(もしくは「パパ」と同じ世代ぐらいの男の人)と遊んで、彼等の存在を認める場が必要なわけです。
彼等との人間関係を築くための場がないとだめなのです。

だから、幼稚園で「父親参観」があるのは、とっても合理的で、むしろ「子どもはパパとママが二人で育てる」という時代にフィットしているわけです。

でもここで新しい気持悪さが。

②父親ってそこまで忙しいのかい。
子どもと触れ合う時間がないのかい。
場を提供されないと子どもと遊べないのかい。

そりゃあたしの家庭環境はかなり特異なので、私が父親とふれあいすぎなのかもしれませんが・・・
それにしても、最近の父親はかなり子どもと触れ合ってませんか?
休日には、かならずパパ・ママ・子どもの三人組を大量にみるし、マクラーレンを1人で押してるパパも良くみます。
それなのに、さらに「父親参観」で、自分の子どもや他人の子どもと遊ばなきゃいけないのかい?

昔ってどうだったんだろうね。
特に戦後すぐに父親になった世代とか。
きっと今見たいに「パパと遊ぶ」っての少なかったんじゃないかな。
っていうか「パパ」が「子どもと遊ぶ」っていうのは、結構近代的な現象なんじゃないかな?
ここに関しては、疑問のままで終りたいと思います。

「父親参観」という現象は作られたものなのか、それとも時代的必然なのか。両方なのか。
ちょっと考えてみたら面白いかも、とか思いました。

また文章にダメだしをくらいそうだな・・・