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沖縄・慰霊の日特集"集団自決"戦後64年の告白

沖縄・慰霊の日特集"集団自決"戦後64年の告白◇太平洋戦争末期の沖縄で集団自決にかかわった、ある兄弟の苦悩を伝える。64年前の沖縄戦では、家族が互いに命を奪い合う集団自決が各地で起きた。渡嘉敷島では、300人以上が犠牲になった。当時、家族を手にかけてしまった兄弟の証言を紹介。戦後、兄弟は別々の道に進み、ほとんど会うことはなかった。兄は島にとどまって家を守り、弟は島を離れてキリスト教の牧師となった。なぜ家族を手にかけなければならなかったのかと苦悩し続けてきた兄弟の心の軌跡をたどる。

goo テレビ番組より http://tv.goo.ne.jp/contents/program/045/0836/20090622_2245/index.html

今日は、沖縄の慰霊の日である。

ちょっとネットを検索すると、「金城牧師は意見が一転、二転している」という意見もあり、どうやら彼の証言の信憑性は定かではないようだ。
ただ、わたしは、この日記で彼らが言っていることが真実かどうか、ということを書くつもりはないし、少なくとも、知識の浅い私が、いくらそのような議論しても答えはでないと思う。
また、おそらくそのような事情もあって、NHKは兄の方に焦点を合わせてこのドキュメンタリーを作ったのだと思う。

私が思ったことはただ一つ。
「わたしたち=内地の人々」は、彼等に、正式な形で謝罪をしたのだろうか。

「常夏の島」として名高いハワイのような扱いを受け、もはや人気の観光スポットになっている沖縄。
しかし、そこは数少ない、戦争の、最も深い傷跡を残している場所の一つだ、ということを絶対に忘れてはいけないと思う。

わたしたちは、64年前、「本州=内地」を守るために、沖縄を捨て駒にした。
琉球民族」を、「和人」を守るための防波堤として使った。
この「和人」という呼び名は、本当に良く言ったものだと思う。
「和」を愛する「人」、「和人」。

わたしたちは、彼等に「和人」の思想を、「日本」というナショナルアイデンティーをおしつけた。
偽りの「鬼畜米英像」を、「自決」という価値観を教えた。

もちろんそこには様々なことがあって、こんな少ない文字でまとめることはできないとは思うのだが一つだけいえることがある。

それは、「わたしたち」が「彼等」を殺した、ということである。

日本を守るために「日本人」のみが戦ったならまだましだっただろう。
実際は、多くの他人、例えば韓国人、琉球人、台湾人を犠牲に「日本」を守ろうとした。
確かに、戦争当時、これらの国々は形式的には日本の「領土」であったかもしれない。
しかし、彼等を「わたしたちと同じ日本人」と捉えていた人はどれだけいただろうか。

なのに、彼等を犠牲とした。
いや。
「だから」、彼等を犠牲としたのかもしれない。

沖縄の地にアメリカ軍が上陸したとき、多くの人々は果敢に戦った。
そして、もう勝てないとわかったとき、沖縄の人々に自害を強いたという。
彼等は、それまでの教育により、「すすんで」自害したともいう。
また、このNHKの番組で取り上げられていたように、自害する前に、家族や、それ以外の人々も殺してしまった人もいる。
「戦争」という精神的・肉体的極限状態の下では、「アメリカ人に捕まると、もっと惨い殺され方をして、女性は強姦される」と言われたら、確かに死ぬしか無い、と思うものなのかもしれない。

彼等は、家族を守るために家族を「殺した」。
この大きな矛盾に気付くのは、殺した後なのだ。
そして、彼等に家族を殺させたのは、わたしたちだ。

死を免れ、アメリカ軍の捕虜にされた人々は、助けられた瞬間に唖然としたことだろう。
その時にはすでに、自分の犯してしまった過ちに気付いたのかもしれない。
そして、多くの人々は、すべてを自分の「過去」とし、忘却しようとした。
だから、多くの人々は、その「集団自決」、特に「家族を殺してしまった」という経験を話したがらないという。
「話す」ということはその事実を認めることになってしまう。
しかし、そのような事実を認められるような強い人はいるだろうか。
いや、いないだろう。

最終的に痴呆になってしまった、という「兄」であるが、彼は渡嘉敷島慰霊の日である「3月28日」を覚えていた。
そして、痴呆になっても、自分の過去の重荷を負いつづけていた。

国のため、国のためといって人を殺してしまったことの愚かさを、いまさらながら知る、という発言に、重みを感じた。

わたしたちは、この6月23日に、一体なにができるのだろうか。