This is the day

レビューを書いて文章力をあげたいという甘い考えの産物です。

龍は眠る

龍は眠る (新潮文庫)

龍は眠る (新潮文庫)

私が紹介するまでもない、有名な本ですよね。
これは、知り合いの方におすすめされて読みました。
これからは当分、本気で卒論を書くので、実質今年最後の小説になるでしょう。
(一応あと3冊ぐらい予約はしてあるので、それはそれで読むと思うのですが)

これは、とても不思議な本です。
私は、小説って結構入り込んじゃう方なんですが、この小説は入り込むと、特に最後の30ページで異様に頭が痛くなります。

自分の「現実」のなかで、「非現実」的なことが起ったとき、人はそれを信じる事はできるのでしょうか。
このお話のなかで一つの重要なキーワードとなるのは、「信じる」ということです。
自分がサイキックである事を「信じ」てほしい、と訴える少年。
その少年を「信じる」ことの決心が着かず、ふらついているうちに事件が起きてしまった、ということなんですよね。

この本を読んでいて、これって宗教とも似ていると思いました。
よくキリスト教とかの真似で「アナタハ神ヲ信ジマスカ?」という言葉がありますが、
いきなり神を信じろといわれて「ハイ信じます」と言う事はできても、心からそれを出来る人ってきっと少ないんじゃないでしょうか。
最初は「は?」と思い、次に「信じるためには証拠を見せろ」と言い始めます。
ところが、その証拠も、結局信じている人には「神」の存在の証拠となるけれども、信じていない人にとってはただのペテンに過ぎません。

このお話では、自分が「見る」ことで、また自分が「感じる」ことで、初めて信じることが可能になっていきます。
でも、それって結局、「見た」人だけが信じ、見たことがない人は見るまで「信じる」ことが出来ない。
そして、「見た」ことで信じた人は、他に人にその事実を訴えるんだけど、それはまた「俺は見るまで信じない」という言葉で、まさに自分が発したのと同じ言葉で突き返されてしまう。

だからこそ、「見ないのに信じる人は幸い」なんだろうな。
「見る」という段階がいつ自分に訪れるかわからない。
その間に、その曖昧な態度が原因で思わぬ事態が起るかもしれない。
だから、自分はまだ見ていないけど、「信じる」。
それが出来る人ってほんとに幸せなのだと思います。

サイキック能力をもつ子どもの父親に対して、「あなたはそれを信じるんですか?」と問われたときに、「信じる信じないじゃないんです、そこにあるんです」といったような返事をしていました。
わたしたちがどういうフィルターを通して、もしくはどういうメガネを掛けてこの世界をみるかは、わたしたち次第です。
「信じる」というメガネをかけるのか、「信じない」というメガネをかけるのか。
でも、それによって変わるものが、あるんじゃないのかな。

というわけで、いろいろ考えさせられる小説でした。