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This is the day

レビューを書いて文章力をあげたいという甘い考えの産物です。

情緒から論理へ

情緒から論理へ (ソフトバンク新書)

情緒から論理へ (ソフトバンク新書)

読む必要がないと思います。
これよりも、この次に勧める「日本辺境論」が遥かに面白い。
日本辺境論を読む前は、「なかなかいいなー」と思ってましたよ。
その二つって、実はすごく似てて。
でも、この本って結局「論理が一番いいのだ」という主張が先にあった上で、その主張を裏付ける根拠として様々な事象が取り上げられいるので、すごく恣意的な気がする。

私も、つい最近、情緒と論理に関してケンカしたので、その二つをしっかり分類することや、この二つを意識すること、なにより「論理」を徹底させることの大切さは痛感しています・・・

でもでも!だからといって「論理」がなにより一番大切で、私たちは「論理」の国民にならなきゃいけない、というのはあまりに暴論。
論理が一番真理に近いわけではないし、論理的であることの意義って言うのがちゃんと語られないと、結局「アメリカと同等に戦うために論理が必要なのだ」という以上のものにはならない気がする。

この人は、論理的であることが成功例に導いた例しか掲載してないけど、絶対に、そうじゃないケースもあるはず。
大切なのは、いつ論理を使い、いつ情緒に頼るのか、という場合わけをすることができることなのではないかと思います。
情緒を使うときは「私はいま情緒で話しています」と宣言さえすれば、そして完全に情緒で話せば、それを「論理」で否定することはできないはず。

更にいえばですね、政治的なことであろうとなんだろうと、様々な決定が、全部外国では「論理的」になされているのか、疑問です。
そもそも、論理と情緒なんて紙一重な気がする。
どんな論理的なこと言っていても、それが情緒的なことに端を発していることはあるだろうし、その逆も然り。

私はむかし弁護士の先生に「熱いハートと冷静な頭が必要だ」と言われたことが忘れられない。
ある物事を「おかしい!」というとき、そこには絶対に情緒が働いている。
「こんな理不尽なことってないよね!」「こんなの酷すぎる!」と、怒りや悲しみといった情緒が発せられる。
でも、そういう「暖かいハート」だけでは、なにも解決できないので、その状況を冷静に、論理的に判断する必要があるわけです。
つまり、やっぱり「暖かいハート」という前提があって、初めて論理が意味をなすのではないかと。

とはいえ、この人の指摘がすべて的外れかというとそんなことはなく、非常に重要な点を指摘していると思えるところもありました。上に述べた辺りをもっと精査したうえで、もっと「論理的に」情緒と論理の関係を語ってくれれば良かったのに。本当に残念!