This is the day

レビューを書いて文章力をあげたいという甘い考えの産物です。

日本の殺人

日本の殺人 (ちくま新書)

日本の殺人 (ちくま新書)

終身刑の死角同様、面白い本でした!

日本ではどういう人達が殺人を初めとする「犯罪」を犯すのか。
私たちは勝手に「犯人像」を抱いているけれども、それがいかに現実とかけ離れているのか、思い知らされました。
それと同時に、なぜ私たちが「勝手な犯人像」を抱いていられたのか、ということまでかかれています。
簡単にいうと、私たち(一般の人)は同じ日本に住んでいるのに「犯罪を侵す人」や「犯罪の起きる世界」と隔離されていた、ということなのです。
例えば、外国だとスラムなんか想像すると、同じ国や自治体内であっても「危険なところ」と「安全なところ」があるということはわかりやすいはずです。
ところが、今「外国だと」といったように、実は今の日本ではこれが想像しにくい。
「危険なところ」と「安全なところ」、「ケガレの世界」と「日常生活」の境界が薄まりつつあるのです。
(ちなみに、河合先生はそこで、柳田國男の「ハレとケ」に触れています)

河合先生のメッセージは大きく「犯罪者の処遇」と「一般人の犯罪に対する意識」に分けられると思います。
まず、「犯罪者の処遇」ですが、これは、「危険なもの(=犯罪者)は隔離せよ」という排除は本当によいのか?ということを考えさせられました。
殺人の大半は、家族だったり、ものすごい怨念をもっている相手だったりに対する殺意があったわけで、「誰でもいいから殺したい」というのは、本当にごく少数の人々。その人々以外は、「安全を守るため」という目的のもとに刑務所に閉じ込めるのはおかしいのです(といっても刑罰は隔離だけが目的ではないので、「刑罰を与える必要がない」という話にはなりません)。
さらに、保護司をはじめとする一般の人の手助けが減っていることで、犯罪者の出所後の処遇の状況が非常に悪くなっているのです。
「再チャレンジができない」というのは、こういう面にもあらわれてるんですね…

もうひとつ、「一般人の犯罪に対する意識」ですが、こちらは国民のメディアリテラシーについて書かれています。
今までは、多くの人が何も知らずに安心して暮らしていたけれども、これからは、正しい情報を報道機関が与えて市民が判断する、ってのが大事になるんじゃないか、という話だったように思います。
それから、被害者への思いやりと政策論をごちゃまぜにするのはマズいっていう話もありましたね。
その流れで裁判員制度についても触れられていましたね。
裁判員っていうのは、確かに、判断を間違えるかも知れないというリスクを伴うのですが、その避けたい嫌なことっていうのは充実感を与えてくれることでもある。そして、悩み迷うことが、人生を生きることであり、社会参加そのものであるから、勇気をだしていこう!というメッセージ。結構励まされましたw

さて、長々書いたわりにまだまだ書き足りないのですがw、最後に、私たちが知らない間に、多くの公務員や民間が社会をしっかり支えていたんだ、ということがなんども強調されていたことを思います。
公務員バッシングが流行ってますが、私たちがしらないことを沢山公務員はしている。
そのことをしっかりしって、良い面と悪い面両方から公務員を評価する必要があるのではないでしょうか。