就活のバカヤロー
- 作者: 大沢仁,石渡嶺司
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2008/11/14
- メディア: 新書
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就職業界にかかわる全ての人、つまり学生/採用企業/大学/就職情報会社の「バカヤロー」な側面を一蹴する本。
結論は「結局みんなが『主体』になりきれてない」ことが問題だ、という。
学生は企業や大学に踊らされ、大学は企業や就職情報会社に踊らされ、企業は就職情報会社や社内の人間関係に踊らされ、そして就職情報会社はライバルとの無駄な争いに踊らされている。みんな踊らされていて、みんな無意識に周囲の環境のせいにしている。
そんな、まさに第二次世界大戦を彷彿とさせる無責任体制のなかで、シュウカツが無駄にエスカレートする様子を描いている。
家永三郎のいう「戦争責任」と同じような「責任」を感じる日々。
私は、就職活動経験者として、そして今は人事で働く者として、すごく納得すると同時に、すごく凹んだ。
なんだ、みんな今の就職環境を本気で変える気ないじゃん、と。
著者でさえ、「お前らが変われ」といわんばかりである(とはいえ、そもそもこんな本を書いちゃうこと自体がすごいとは思いますよ。)
そもそも、なんでこんなシュウカツシステムができ上がったのか。
特に本書は、政府の責任とかも完全に無視なのが気になる(まー言及してもしょうがないということなのかもしれないけど)。
一方で、この社会の「丸め込みやすさ」みたいなものを痛感している身としては、じゃあどうしたらいいのさ!という弱音も吐きたくなる。
絶望から始まる希望、という言葉もあるけれど、実際、社会の「現状」を目の当たりにして、今は絶望しかでてこない。
絶望の中で、どうやって人々が主体性を取り戻せるようにするのか。
中にいる人はどうしても、自助努力しかない。
もちろん、中にいる人の「主体性」を取り戻す以上努力が第一条件ではあるんだけど、その努力をサポートしてくれる何か、が必要なんじゃないかな。
相方の研究を本当にちょっとだけかいま見た感じだと、「イノベーション」の前提には主体性を持った個人と、その個人を全力サポートはしなくてもやはり肯定してくれるような環境があった。今の日本にはそういう「余裕」がない。釣りバカのハマちゃんがいていい余裕がない。けど、ハマちゃんだって、独自ルート(というか釣り)で、新しい大型顧客を開拓しているわけで、やっぱりスーさんの会社には必要な人材だった。周りも、煙たがりながらも、やっぱりハマちゃんを肯定していた。
みんな余裕がない。
どうしたら余裕がでるんだろうか。
その余裕の先に、「主体性の回復」や「イノベーション」があるような気がしてならない。
いや、それは逆なのかもしれないが。