思考の整理学
- 作者: 外山滋比古
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1986/04/24
- メディア: 文庫
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あけましておめでとうございます。
昨年もいろいろとお世話になりましたが
今年もよろしくお願いいたします。
というわけで、今年も、この完全に自己満足なblogを充実させていきます。
いいのです。
これは、私のためにやっているblogなのだから。
でも、批判のコメントとかは受け付けますよ。
さて、今回はだいぶ王道なこの「思考の整理学」でいってみます。
論文から現実逃避した時に、この本がたまたま家にこあっただけという噂も
この本のよさについては、いろんな人が沢山レビューを書いているので、わざわざ同じことを書くつもりはないのだが、大切なのは、①これが1983年から書かれていた=20年まえに既にこういう考えがあった、ということと、②これがHow to本ではないということ。
①について。
まず20年前にこういった考えが文庫本という形で世に出回っていたにも関わらず、彼の考えを新鮮とさえ受けとってしまい、悲しくなる。
まぁ、ある考えが浸透するまでに、もしくはある物事が変わるためにはそれだけ時間がかかるということなのかな。
もちろん、教育方針をグライダー形から飛行機型に変えていることには違いないと思うんですが、私の周りに飛行機型は非常に少ない。
特に、残念ながら後輩に少ない。
飛行機型になろうと頑張ってる人はいるんだけど、もしこれにエンジン搭載したら明らかに危険だろ!という方向に向かうグライダー君なんだよね・・・
やっぱり、飛行機なら目的地に向かってもらわないと・・・ねぇ。
そういったことをもう一度考える必要はあるだろうな。
②について、私はこの本の中心は6章の特に「第一次的現実」だと思う。
勝手に思ってるだけですが。
特に「われわれの知的活動が、とかく、模倣的であり、真に創造的でないのは、このナマの生活との断絶に原因があるのではあるまいか」という一節。
そういうことを考えていろいろ選択している私としては「まさに!」という感じ。
学問はすごく大事だと思うけど、「学問をするために学問をしている」のはすごく勿体ない。
それぞれの学問が日々の生活に繋がっていて、日々の生活もまた学問に繋がっていて、
それで初めて「生きた学問」になるんじゃないだろうか。
繋がっているっていうのは、別に「直結」してるということでもない。
社会のことを学問することと社会のために学問することは違うんだ。だから、例え超細かいこととか、超この世離れしたことを研究していたとしても、「この世をよくするためにやるんだ」という思いで、またそういう目的意識をもってやってるならそれは生きた学問だろうし、逆にどんなに社会に役立ちそうなことをやっていても、「自己実現」とか自分の欲求を満足させるためだけに行っているのなら、それはきっと生きた学問じゃないんじゃないか、と。
そんなことを考える暇があったら、是非論文を書いて欲しいね。