This is the day

レビューを書いて文章力をあげたいという甘い考えの産物です。

『私たち消費者にはちょっと懐の痛い話です』

 

激安食品の落とし穴

激安食品の落とし穴

 

 

 「私たち消費者」というフレーズを耳にするたびに、それをいうあなたは年収いくらでどんな食生活をしていて、平均的消費者を代表するにふさわしいんでしょうね、と嫌味の一つでも言ってみたくなる。

「私たち=消費者」という魔法の図式は、発言者を一瞬で被害者側に据え置く。全ての人は何かを食べなくては生きていけない。産まれたての赤ん坊から、死に瀕するお年寄りまで、誰もが立派な消費者だ。

 

そして、消費者という側面にフォーカスすることで、供給元たる生産者でもあるという側面を見えにくくする。

ご飯を作り、ベランダでちょっとした野菜を育て、仕事をしてお金を受け取る。生産者というとどこか遠くの田舎で野菜を作るおばあさんや、工場でネジを締めているおじさんを思い浮かべがちだが、生産者は私自身であり、私たちの身近にいる人々だ。

 

「消費者としての私」と「生産者としての私」は、時として相反する。

 

安く良いものを買いたい「私」と、

良いものは高く売りたい「私」

 

汗水流して得た給料は無駄に使いたくない私と、

汗水流して作ったものから十分な利益を得たい私

 

私という一つの個体の中に存在する相反する二つの側面。どちらが良い悪いではなく、正当な感情だ。しかし、そのことを意識しなくなったとき、買い叩くことが正当化されていくのだと思う。

 

つい、仕事をしていた時のことを思い出す。どの上司も、商品を買い叩くことに必死だった。

前年よりも安く受注することに力を注ぎ、達成できないと「企業努力が足りない」となじりながら相手方担当者を無能呼ばわりし、達成できると自分の能力の高さに酔う。もちろん、その背景には、同じく安く良いものを得ようとする社長たちの存在があるので、組織的な問題だろう。

しかし、買い叩いた結果、前年よりもクオリティが下がり、場合によっては部署として達成すべき事項が達成できなかったということには、目をつぶっていた。完全に、手段と目的が逆転している。

 

今日紹介する本は、タイトルがセンセーショナルだけれども、週刊誌などであり溢れている「添加物はガンになる!」的な話では全くない。著者も安い商品を全く食べないというわけではない。が、自分の食べているものが一体なんなのか、どういう流通経路を辿っているものなのかをよく知り、価格が適正であるかどうかを判断しないと、結局安物買いの銭失いになるよ、ということを教えてくれている。

 

最後には、購入する際の基準として「ethical」という概念を提示している。

ethicalであるかどうかを判断にするためには、やはり、自分が購入しようとしているもののことを、もっと知らなくてはいけない。すべてのことを知ることはできないが、だから知らなくていい、とはならない。

 

知ることをサボり、CMやパッケージのイメージだけで物事を判断するときに間違いが起こりうるというのは、日常生活から政治まで、幅広く共通する事項なんだろう。間違えるのが悪いのではなく、間違えたことを自覚し、次に生かすことが必要なのだ。

 

「私」はとても恵まれた環境にいる。いったいどのぐらい、消費者を代表できているんだろうか。