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レビューを書いて文章力をあげたいという甘い考えの産物です。

「日本スゴイ」のディストピア: 戦時下自画自賛の系譜

 

「日本スゴイ」のディストピア: 戦時下自画自賛の系譜

「日本スゴイ」のディストピア: 戦時下自画自賛の系譜

 

 

妊娠中、助産師たちが「安産のため」の「日本の伝統的なやり方」としてレクチャーしてくれたのは、長時間の散歩やサラシを使って体を冷やさない方法から始まり、こんにゃく湿布や「斬新な」マッサージだった。それは私に合っていたし、別に批判するつもりではない。

ただ、娘は出産直前に脈が乱れ、緊急帝王切開で元気に生まれた。

「安産のため」にいろいろ頑張ったのに。

産後、助産師たちの目が冷ややかに感じられたとき、ああ、私は彼女たちにとって理想の妊婦ではなかった、それは妊娠中に努力した諸々があったとしても、「安産」という結果が得られなかった以上、妊娠中の努力云々は意味がないのだ、と強く確信した。

誤解があるといけないけれども、私は自分の出産には納得も満足もしているし、医師や助産師にはめっちゃ感謝している。ここで言いたいのは、「他者から押し付けられる理想」というのが、結構身近にあふれているのだ、ということなのですよ。

 

 「<日本人としての誇り>とか<皇国民としての使命>といった大義は、常に必ず他人を命令に従わせるために活用される」

この本は、大量な戦時中の出版物の事例を通して、このことを意識している。

「日本人は粘度の高いジャポニカ米を食べているから粘り強い」「日本人はアジアのお兄さんとして模範をしめさなきゃいけない」といった言説は、未だに小学校の道徳の授業やSNSなんかでもみられることがある。よく考えるとそれはなんの説明もしていない。なのに、言われるとなんとなくそんな気がしてきて、なんだか誇らしい気持ちになる。

 

『それはハッキリ言って「大きな勘違い」で』、仮にソニーがMade in Japanを世界に知らしめたとしても、また、納豆を食べるから欧米人よりも腰が強いとしても、それを聞いている私たち自身は『全然スゴくないまま』。

 

「スゴイ」言説を利用して、教師たちは小学生たちを男女問わず裸にして乾布摩擦していたし、チカンされた女子に対して「チカンされるのも悪い」と今でも聞くような自己責任論?を展開しているわけです。さらには「仕事はお金のためにするのではない」という言説を使って、労働者を酷使する「ブラック企業」の精神もこの時期に確立されている。

 

今日も会社員はサービス残業を続け、SNSでは謎の自己責任論が展開されている。一時期世間を賑わせていた文科省天下り問題もいつの間にか下火になって、日本人の「伝統」と言われる「お上のいうことは絶対」という精神を切り崩すのは、なかなか大変そうですね。