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レビューを書いて文章力をあげたいという甘い考えの産物です。

結婚と家族のこれからー共働き社会の限界

 

結婚と家族のこれから 共働き社会の限界 (光文社新書)

結婚と家族のこれから 共働き社会の限界 (光文社新書)

 

 

 

独身時代や、DINKS時代には、「会社を辞めようと思う」という話をすると、「転職するの?それとも世界一周の旅で自分探し?」なんて茶化されていたが、子供を授かってから同じ話をすると「専業主婦になるの?」と少し棘のある言い方をされることが多いように感じていた。

私としては、「会社を辞める」といっているだけで「仕事をしない」とは一言も言っていないけれども、まぁどちらにしても「それでも生きていける悠長な人生」として見られてしまうわけだ。

そうみられてしまうこともすごく納得できるものの、その背景をあまりちゃんと把握できていない、という思いは常にあった。だから、この本は、それを知るための一つのきっかけとして読んだもの。

 

この本は「公正であるべき社会」と「特別扱いする( =非公正)な家族」との兼ね合いのなかでどういう社会が目指されるべきなのかを説明しようとしている。

劣位の側にいると、「公正な扱いをしてくれ」と言いたくなるけれども、優位な側にいればできるだけその優位な立場を家族にも引き継ぎたくなる。このすごく単純な人間の感情を、「全ての人の生活が安定する」ということとどのように折り合いをつけるのかというのは非常に難しい問題だと思う。

この本で明示されているのは、

①家父長制は決して「古典的」なものではない

②家族をセーフティーネットとして扱うことが、家族の形成を妨げる

③共働き家族の増大が格差を助長する

という3点で、それぞれについては納得するし、政府が進めようとしている憲法改正などに対しても強い主張ができるような論調になってはいると思う。

特に、共働きが格差を助長するというのは私はとても大事な点だと思っている。共働きにも、「お金のために共働き」「夢のために共働き」とそれぞれ違う理由で共働きになっているわけで、十把一絡げにお金があるはずだ、とか大変だからもっと助けるべきだといったことは言えないと思っている。

ただ、この本自体はあまりお勧めではない、本当に申し訳ないけど、そもそも途中でなにをいっているかよくわからなくなってしまった。私の読解力が低いという指摘は甘んじて受けたいけれども、低い読解力の人に分からせるような文章構成にはなっていないと思う。

さらに、この方は計量社会学を専門としているといっているのに、その割には統計の読み方が甘すぎる。

お見合いや自由恋愛について語っている章で、1920年代生まれで4割を超えている「伝統的アレンジ婚」を少数派といって片付けたかと思うと(p74)、2割弱の不貞行為の経験者を「少なからぬ人(p228,232)」と言ってしまうというのは、あまり納得できませんでした。もちろん、この二つは議論している対象が違うので単純対比はできないし、事例としても小さいことなので「重箱のすみをつつく」となってしまうのかもしれないけど、そういう小さな不信が、この人のデータの読みの甘さへの不信と繋がってしまうとは思う。その辺りが計量社会学の難しいところで、統計は自分が論証したいことの論拠として出すものだから結論ありきになるのは仕方がないけれども、自分の論証したいことを示すために歪めてしまうのは、やはりそもそも論証したいことに無理があるということなのではないかと思ってしまった。

 

この著者は、確かに学術的に「家族」についての見解をまとめようとしているとは思うし、「多様な家族像を受容する社会ってどうしたら可能なのか」という問いは重要だとも思う。けれども、ところどころに見え隠れする「北欧的制度」への憧れがちょっと強すぎる。

 

少なくとも、「私や私の家族がよければそれでよい」という考えを元にした一人一人の行動が社会を破壊してしまう訳で、そこに対して自覚的であるべきというふうに考える上での根拠を得られたという点では有益だったとは思う。