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レビューを書いて文章力をあげたいという甘い考えの産物です。

訪問看護婦だからできること

訪問看護婦だからできること

訪問看護婦だからできること

訪問看護婦について、今後研究したいなーと思っていたので、
とりあえず訪問看護婦の本を読んでみよう!ということで読んでみた。

押川さんは聖路加国際病院所属の訪問看護婦であり、聖路加病院訪問看護科―11人のナースたち (新潮新書)にも登場する「肝っ玉姉ちゃん」看護婦長である。

この本は、どちらかというと、今まで彼女が経験したエピソードや体験を完全に主観的に述べている。もちろんそこには問題もたくさんあるだろう。しかし私は、彼女があえて「在宅が不適切なケース」にも触れ、在宅は完全ではないこと、しかしながら彼女自身は在宅ケアを訪問するという自身の仕事が好きだ、ということがふんだんに描かれている。

日本における在宅ケアにおける、重要なキーワードは、「家族」だろう。
最近は「無縁社会」なんていって孤独に暮らす人々が取り上げられるが、他方で家族と同居している人も少ないとはいえず、未だに三世帯同居も消え去ったわけではない。
そうなると、「在宅ケア」という選択には、必ず「家族=介護者になる」という前提が置かれている。
少なくとも今の日本の制度では、在宅ケアにおいて家族が介護者になるということは必須でさえある。
もちろん、家族が介護に肯定的かつ時間がある(仕事をしていない)のであればいいんだろうけど、もし介護に否定的だったら在宅ケアはできないということになるようだ。
実際、この本でも後半に、在宅ケアに向かなかった家族の例がいくつか紹介されている。

やはり「在宅ケア=幸せ」という短絡的なイメージは危険でさえあるだろう。
よくいわれているように、在宅ケアは一歩間違えると「コスト(医療費)削減目的」や「見捨てられた患者」ともなりうる。そういった被害者意識を患者に植え付けないためにはどうしたらいいんだろうか。

それはやはり、在宅の良さを、在宅ケアで十分に味わわせることだろう。

例え聖路加病院のように全室個室だったとしても、やはり、病院(自宅以外の場所)で『生活』するのは、容易ではない。入院とは一種「生活」を犠牲にして行うものだろう。
一方で、在宅ケアでは、自宅で、「日常生活」を送ることができる。
子どもの成長を見守ったり、家族で団らんしたり、みんなでテレビをみたり。
場合によっては、仕事をすることもできるだろう。
私は、それこそがまさに今求められている医療だと思うのだ。

つまり、『医療が目的の人生』ではなく、「人生が目的の医療」というか、それぞれが自分の生きる目的を全うすることを支えることこそが「医療」なのだと思うのだ。

医療はますます変化する、などといわれるが、これを読むかぎり、実は20年近く前から今必要とされている、もしくは目標とすべき医療の形は提示され、実施されていたにも関わらず、その移行が上手くできていなかっただけなのだと思う。

今後、生活の一要素としての医療という視点が、ますます重視されるのではないだろうか。