This is the day

レビューを書いて文章力をあげたいという甘い考えの産物です。

ひとを<嫌う>ということ

ひとを“嫌う”ということ (角川文庫)

ひとを“嫌う”ということ (角川文庫)

人を嫌わない人なんて本当にいるんだろうか。
それは、私にとって今までの大変大きな課題だった。
心のなかで人を嫌ってしまうということ自体が
私自身を苦しめた。
その罪悪感から解放されたくて、
「その人を嫌う」ことの妥当性を共有したくて、
悪口をいってしまったこともあった。
それらの思い出は「失敗」として心の奥深くに刻まれている。

この本は、決して哲学的になにかを説こうとするものではない。
著者は確かに哲学者であり、嫌うを「哲学」しようとしてのであろうが、
この本はむしろ、「嫌い」を分析した上で、「嫌い」に対する様々な解決方法を提案する実践書、
いや「ビジネス書」といっても過言ではないだろう。

実際、私はこの本を読んで、
自分の「嫌い」という感情をどう処理すればいいのか、
「嫌われてしまうこと」への恐れにどう対処すべきなのか、
という「嫌いのコントロール方法」を学んだ。

「嫌う」というのは、「好き」と同様、自然とわき上がってしまうものである。
いわれてみれば当然なのだ。
意味もなく好きになるように、意味もなく嫌いになる。
意味もなく好かれるように、意味もなく嫌われる。
クリスチャンは特に「嫌い」という感情に過度に反応するようにも思われるが、
聖書には「嫌い」が溢れている。
「嫌う」のが悪いのではなく、嫌いな人に対しても愛を持って接することが重要なのである。

ここで大事なのは、「愛を持って接する」というのは、必ずしも、相手を愛する、もしくは愛しているようなそぶりをする、ということではない。
ただし、嫌いな相手に対しても、「神様はこの人を好きなんだ」という視点を忘れない、ということなのだとは思う。
私を愛してくれる神様は、私が嫌いなあの人を、そして私のことを嫌っているこの人をも愛している。
そう考えると、やさしくはできなくとも、相手を「許容する」ということは可能かも知れない。
もちろん、それには限度があるため、「関係を絶つ」というのも、一つの愛の形かもしれない。

嫌うこと、嫌われることが怖くなくなる良書。
ただし、文章の書き方には癖があるので注意。

この著書のいってることには共感するけど、嫌いかも度☆☆☆☆☆
明日から会社に通いたくなる度☆☆☆☆☆