This is the day

レビューを書いて文章力をあげたいという甘い考えの産物です。

Works 111号(2012 4-5) 201X年、隣の席は外国人

上司に勧められて読んだわけですが。

なお、この雑誌は、リクルートワークス研究所のHPに掲載されてます。

率直な感想としては

意味がわからない。

なんか、文章がダラダラ続いて、むずかしそうなワードが点々としているわりに
中身がない。

今回は、外国人の採用が特集されてたわけですが、
そもそも、外国人を採用する理由が、「多様性」だの「休日」うんぬんってちょっとおかしくないですか?
「外国人だとリスクが取れる」だの、「外国人は視点が違う」だの抽象的なことばかり…。
ほんとにそうなのか?
仮にそうだとしても、
日本人だって、リスクをとれるような教育を受ければ、
異なる視点を養うような教育をうければ、
そして、外国語を積極的に学べる様な環境にあれば、
外国人を採用する必要って別にないんじゃないか?
と思ってしまう訳ですよ。

企業によっては、外国人を採用することで成功することもあるとは思うけど、
外国人を採用することのリスクもやっぱり考えなくてはいけない。
今の、長期雇用を前提とした雇用慣行の中で、短期間の雇用を前提とした社員に、どのような教育を行うべきなのか。
OJTでしか伝えられないことは、どのようにOff JTでアウトプットできるのか。
「言葉にできないなにか」を、異なる文化の人に継承できるのか。

外国人を採用することが、既に採用されている人達によって負担になるということは絶対にあるはず。
その負担をどう捉えるのか。
どう解消するのか。
その視点がない限り、無条件に外国人を採用するのは、あまりにも無責任な選択だと思う。

彼氏曰く。
外国人を採用するための戦略が必要だということらしい。
今はマイケル・ポランニーレベルなんだとか。
暗黙知」というものを『社会科学的』に「説明」する努力を怠った状態で
五月雨式に外国人採用をすすめてしまうことに問題がある
らしいよ!

入社一年目の教科書

「クリスマスの起源」をせっかく清書しなおしたのに、なぜか古いバージョンでアップされてて、なんかやだけどもうしょうがないというかやけくそ。笑

ちょっと日記も書いちゃうw

仕事は楽しいけど、やっぱり「一年目の最初の二ヶ月」という独特のプレッシャーがあるんですよね。
だから、チャンスを逃しては掴み、掴んでは逃すの繰り返し。
そして、自分に言い訳も繰り返してるんですよね…。かっこわるいな、自分。
でも、失敗しないと次にがんばれない非効率な性格なので、繰り返すしかない。
昨日まではずーっと落ち込んでたけど、「おかげさまで」吹っ切れたので。笑

というわけでこの一冊をご紹介ー♪

入社1年目の教科書

入社1年目の教科書

先輩にお勧めされた一冊。
思った以上には収穫があったかな、と思います。
一応、意外に励まされるんです。
多分、新人が悩んでる部分を的確に指摘しているから。
なので、そもそも「私だけじゃないんだ!」と思えるだけでもう万歳。

ただ、なにせまだ30代の「成功者」が書いてるので、浅いのなんの。
『なんの為に“成功”したいのか』『ってかそもそも“成功”ってなんだ」という部分の考察が甘すぎる。
この人は東大法学部→司法試験合格→司法修習せずボスコン→経営者というなんだか黄金のルートを歩んでる人ではあるので、
「著者みたいになりたい!キラキラ!」と思ってる人はすぐさますべてを実行すればいいと思うけど、
そもそも、社内外に人脈作りまくって休日も上司や先輩と趣味で交流したい人なんて、一握りじゃないかと思う。
もっと、失敗談が載ってると、読む側のモチベーションも高まったと思うけど、やっぱ、コンサルはプライド高いよね(苦笑

あとは、社会人一年目の「おどおどしちゃう気持ち」を無視してるんだよね。
きっと、自分はおどおどしなかったんだろうな。
けど、大半の人が「わかっているけど、踏み出せない」じゃないかな。
そこに対する励ましが薄いどころか、「はじめが全て!」といいきっちゃってるので、
失敗しちゃったらもう終りなのかい!とむしろ凹むような気もします。

特にアイロニカルなのが、「本を速読するな」という“ポリシー”。
著者曰く『古典を読んで理解できなかったら、自分がばかだと思いなさい。新しく書かれた本を読んで理解できなかったら、作者がばかだと思いなさい』とのこと。
その通りだと思うので、当分は、こういう「ビジネス書」は読まないで、アダムスミスでも読もうかしら。笑

クリスマスの起源

クリスマスの起源

クリスマスの起源

ほんとうは、この本の著者クルマンの、原始キリスト教系の別の本(とはいえ、実は本の名前を忘れてるぐらいダメな私なのですが)を読みたかったんですが、図書館には「クリスマスの起源」しかなかったので、泣く泣く(?!)読みました。

思っていた以上に収穫がありました。

字がすごく大きくて、ページ数も少ないので、一時間もせずに読めちゃうとは思うんですが。ええ。

いうまでもないことだとは思うのですが、「クリスマス」は、12月25日です。
ところで、「クリスマス」って、どういう意味だかご存知ですか?

(二年前、某炭酸飲料のHP上にあった景品付きクイズで
「クリスマスとは、イエス・キリストが誕生した日である。○か×か。」
という質問に、
したり顔で○を選択し、見事「不正解」レッテルを貼られた私が通りますよっと。)

クリスマスは、「キリストのミサ」という意味でして、実は、イエス・キリストが誕生した「ことを記念する」日なのです。
つまり、12月25日にキリストが誕生したのではない、ということも、また周知の事実。
ではなぜ、12月25日に、キリストの誕生を祝うのか、という点に焦点を当てているのが、本書。
ついでに、クリスマスツリーの起源についても書かれています。
(クリスマスツリーって、ルターが作ったわけじゃなかったんだよ!!!)

本書の主な主張は、「他の宗教の影響が入り込んでいる、というだけで、キリスト教としての正統性が損なわれるわけではない」という点にあります。

wikipediaをみても、クリスマスは『ミトラ教の冬至の祭を転用したもの』という記載がなされているんですが、それだけだと、まるでクリスマスがうさんくさい物みたいで、一クリスチャンとしても、「だったら祝わなくてもいいじゃん!」と思ってしまいます。

でも、そうじゃない。
例え、他の宗教のお祭りを転用したものであったとしても、そこには、むしろキリスト教としての正統性を担保するような背景さえあるのです。
例えば、本書では、12月25日が、ローマの「太陽祭」であったことが示唆されています。このことは、キリスト教が、「太陽」の地位、つまりすべてのものの王の王である地位を、当然の如く得た、ということを意味しているのです。

つまり、他の宗教の影響を受けた、というよりも、他の宗教が、キリスト教に影響を与えざるを得ないような存在であった、というふうに考えるのが妥当かもしれません。

本書には、他にも、クリスマスが12月25日になる以前に行われていた「顕現祭」など、現在のクリスマスの原型になるようなお祭りに関する記載もあります。
事例が多く、簡単に読み進められるので、クリスマスに疑問がある方もない方も是非お読み下さい!

今月はもっといっぱい本を読むぞ!!

ひとを<嫌う>ということ

ひとを“嫌う”ということ (角川文庫)

ひとを“嫌う”ということ (角川文庫)

人を嫌わない人なんて本当にいるんだろうか。
それは、私にとって今までの大変大きな課題だった。
心のなかで人を嫌ってしまうということ自体が
私自身を苦しめた。
その罪悪感から解放されたくて、
「その人を嫌う」ことの妥当性を共有したくて、
悪口をいってしまったこともあった。
それらの思い出は「失敗」として心の奥深くに刻まれている。

この本は、決して哲学的になにかを説こうとするものではない。
著者は確かに哲学者であり、嫌うを「哲学」しようとしてのであろうが、
この本はむしろ、「嫌い」を分析した上で、「嫌い」に対する様々な解決方法を提案する実践書、
いや「ビジネス書」といっても過言ではないだろう。

実際、私はこの本を読んで、
自分の「嫌い」という感情をどう処理すればいいのか、
「嫌われてしまうこと」への恐れにどう対処すべきなのか、
という「嫌いのコントロール方法」を学んだ。

「嫌う」というのは、「好き」と同様、自然とわき上がってしまうものである。
いわれてみれば当然なのだ。
意味もなく好きになるように、意味もなく嫌いになる。
意味もなく好かれるように、意味もなく嫌われる。
クリスチャンは特に「嫌い」という感情に過度に反応するようにも思われるが、
聖書には「嫌い」が溢れている。
「嫌う」のが悪いのではなく、嫌いな人に対しても愛を持って接することが重要なのである。

ここで大事なのは、「愛を持って接する」というのは、必ずしも、相手を愛する、もしくは愛しているようなそぶりをする、ということではない。
ただし、嫌いな相手に対しても、「神様はこの人を好きなんだ」という視点を忘れない、ということなのだとは思う。
私を愛してくれる神様は、私が嫌いなあの人を、そして私のことを嫌っているこの人をも愛している。
そう考えると、やさしくはできなくとも、相手を「許容する」ということは可能かも知れない。
もちろん、それには限度があるため、「関係を絶つ」というのも、一つの愛の形かもしれない。

嫌うこと、嫌われることが怖くなくなる良書。
ただし、文章の書き方には癖があるので注意。

この著書のいってることには共感するけど、嫌いかも度☆☆☆☆☆
明日から会社に通いたくなる度☆☆☆☆☆

年収100万円の豊かな節約生活術

年収100万円の豊かな節約生活

年収100万円の豊かな節約生活

タイトルにだまされました。
同じ100万円生活でも、
どこかから100万円が振り込まれるから、一年でなんとかやっていければいい、というのと、
一生懸命働いてがんばっても100万円で生活せざるを得ない、というのの
2パターンがあると思うんです。
この本の著者は完全に前者。
つまり、お坊ちゃん悠々自適生活の本なので、
基本カス。

しかし、一点だけ使えるところが。
それは、レシピのページ。
これだけは有益なので、コピーして利用することをオススメします(えっ)。

ともかく。
ただの、独身貴族が、「今は」お金をできるだけ使わないで、
(でも1000万ぐらい稼いでた時に購入した物品は使いまくって)
スローライフ」的な生活を送っていることを自慢している本です。
現代版「隠居」「出家」とでもいうか…

この世の中にミッションを感じている私には、共感できませんでした。

ガール

ガール (講談社文庫)

ガール (講談社文庫)

なにかで紹介されて、衝動的に読みたくなった「ガール」。
むかし、確か高校生ぐらいの時に、一度読んでました。
でも、その頃とは、ちょっと違う印象が…。

前に読んだときは、「自立した女のかっこよさ」みたいなところに目がいって、「キャリアウーマンになるぞー!おー!」という気持ちがいっぱいだったわけですが、今度は打って変わって、「自立した女性の弱さ」みたいなものが全面に読みとれました。

この本は、いくつかの短編小説から成り立ってて、いずれも、既婚オア未婚のアラサーバリバリキャリアウーマン“女子”たちなわけですが、ストーリーのなかでは、子持ち専業主婦とか、ぴちぴちの新卒女子社員とかもでてくるわけです。
んでもって、アラサー女子たちが自分達の生き方を子持ち専業主婦とかと対比させたりして、でも最終的には「私の生き方間違ってなかった」というストーリー。
確かに、爽快だし、気持ちいいし、可愛いお話が多いし、結構共感できる。
が、どのストーリーも常に「誰かと比較して優位な自分」という構図がある。
これって、まぁある意味普遍的なんだけど、私の印象としては「とってもバブリー」。
対象となる“女子”たちは、バブル時代を謳歌してるんだよね。
だから価値観は常に「勝ち組」「負け組」なのである。

私は、その価値観に、居心地の良さを覚えるけれども、
居心地がいいあまり、将来への「いきおい」みたいなものを感じられない。
もちろん、表面上は「もっと頑張ろう」とか「このまま突き進め」みたいなことがあるんだけど、
結局、彼女達って、自分を全肯定してほしいだけなんだよねぇ…。
せっかく自分を省みるチャンスが与えられているのに、
そのチャンスはほぼ用いられていない。

なんかそれって、虚しい気がするんだよね…。
というわけで、結局、大人の「女性」になりきれない「ガール(女子?)」を描いてるんだろうな、というところで落ち着くのです。

勝間和代のインディペンデントな生き方

久しぶりに書くブログが勝間和代かよ!という自分への突っ込みはさておき。
ちょっと期待したのですが、結局勝間さんでした。

勝間さんが、この本を通して伝えたいことはとってもシンプル。
しかも、なんども太字ででてきます。
それは、「いい女になろう」ということです。
そして、本書でのいい女の定義は

1、年収六百万以上を稼げること
2、自慢できるパートナーがいること
3、年をとるほど、すてきになっていくこと

です。
もうこの時点で明らかですが、これは女性一般を対象とした本ではありません。
中流階級以上の家庭出身で、「難関大」といわれる大学を卒業した女性を対象としたものです。
しかも、この本では、仕事の質は実は問われていません。
それよりも「どういう生き方が女性としてカッコいいか」みたいなところに焦点が当たっている気がします。

でも、この「カッコよさ」がとってもださい。
年収六百万稼ぐのは、離婚しても子どもを育てながら生きていくことを視野に入れた上でのアドバイスだし、パートナーとなる人には必然的に一千万以上稼いでいる人が前提となっています。それより少ないと男性が卑屈になるとか…。それって、金銭を第一にして生きているからで、パートナーと良く話し合って役割分担すれば解決するんじゃないかと思います。
というか、そもそも、男性で一千万以上稼ぐ人と、女性で六百万以上稼ぐ人は人口の約10%という話ですが、その大半が既婚だったり、お年を召していたりするんじゃなかろうか。となると、ほんと、ちょーーーーーーごく一部の人の中からパートナーを選抜しなきゃいけない。
だいたい、世の中には、一千万・六百万も稼げないような仕事だって沢山あるんですよ。だけど、誇りを持って働いていたりする。そういうの全部見ないフリをしてるんですよね。

しかも、パートナーが自分に見合わなくなったら別れる。魅力的な女性には新しい、そして自分に見合ったパートナーが現われるようですが…。えーーーーーーーーwそれだったら誰も苦労しなくない?
自分のパートナーを死ぬまで面倒見てやる!という気概がないんですよね。育ててやる、とかさ。
これ、友達に対しても同じなんじゃないか、って思うと、すっごく怖くなるんです。つまり、自分にメリットがある間は友達でいるけど、メリットがなくなったらお別れ、ということなんじゃないかと。でも、友情や愛情って、そういうメリット/デメリットを越えたところにあるんじゃないだろうか。

年をとったら素敵になっていくというのは納得。内面の美しさが外に現われるということだから。けど、その為にはこの本でとり上げられているような法則「1、じょうぶな心 2、学び続ける力」よりもっと深いなにかがあるんじゃないだろうか。

だいたい、「じょうぶな心」のためには「愚痴を言わない、笑う、姿勢を整える」って…。

というわけで、結論をいうと、とっても軽い、一時的な「かっこよさ」を求めた本であることが明らか。
なので、社会全体の構造や、弱者の存在を完全に無視している点が気に食わない。
「個人を対象とした話なんだから、個人のことにだけ言及すればいい」という考えには賛成しない。だって、その個人はまさに、社会の中の1つの構成要素なんだから。この本では「自分が自分の力で頑張ってる」という側面が強調されているように読めてしまうんですが、やっぱりそれはウソですよ。自分に与えられている「有利な条件」を完全に無視して自分の努力だけを強調するなら、他の人をバカにするような視点が生まれるだけだし、「社会を良くしていこう」とはならない。

どんなかっこいいことをいっても、自分のことをしか考えてないなら、結局意味がない。結局は、易きに流れていく生き方で、「この会社のこの商品のために頑張りたい」「ダメな旦那だけど、本当は優しい人だから寄り添っていきたい」「計画通りいかなかったけどこれも人生だな」という視点が皆無。この人達、例えば障害を持った子どもを授かったらどうするんだろう。まーそういうことがないように、検査とかしっかりするのかな。

この本では、カツマー(インディ!?)な女性(特にワーキングマザー)が、しなやかで女性らしさを武器に次々と昇進・転職して幸せになっているように描いていますが、私としては、ドヤ顔の中年女性が「恋も仕事も美肌も!全部手に入れる!」といいながらミニスカートを履いてベビーカーを押している姿しか目に浮かびません。
周りは、口では「カッコいい」といいながら、裏では「いい加減にしろ」と思っていることでしょう。